追記

なんというか、理解されようとしていないというか、これを書いたら受けるだろうとか、これを思っているから、伝えたいんだっていうのがまるで無い。
普通は音楽を作るにしても、絵を書くにしても作者は「今一番思っているもの、伝えたいものを作品にこめました」とか
「新しいことをやってみました」とかいうわけです。
でも彼の作品には無いというかなんというか。
たとえば普通の人と小説家の違いは書きたい作品があるかどうかだと思う。文章力とか語彙知識ってのはその補完要素であって文筆家の必須要素で無いと思う。
で、普通の人が小説や文章を書く状況に追い込まれた状態が彼の作風に影響を与えている気がする。小学生のときに作文を書けと言われて、書きたいことも伝えたいことも無いのに、原稿用紙の升目をうめなきゃいけなく、引用と薄っぺらな感想らしきもので埋めた文章に中原昌也の作風がなんとなく似ているなとおいらが感じるのは、そうゆうところが関係しているのかな。

でもまあ今BlogやSNS全盛でみんななんか人に伝えたいことがあるのね。(ここもだけどさw)